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本当のこと

飼い主が病院に入ったきり死んでしまった。

「ひとこと何か言ってほしいわ。飼い猫としてはね。」

飼い猫はそう言って、飼い主に会うため意識を集中させる。

 

花が咲いていて傍に清らかな小川が流れている、

小さなコーヒー店におばあさんは居た。

 

「とっても気持ちいいので何か忘れとった。いかん、いかん」

そう言っておばあさんが店の外にでてみると

草むらに飼い猫を見つけた。

 

「ああ、やっぱりあんなとこにちょこんと首だけだしておる。

 さよならを言うのを忘れとったよ。」

 

おばあさんは静かに微笑みながら飼い猫に近づき頭をなでる。

「さよなら。」おばあさんが言った。

「さよなら。」飼い猫も言った。

(大島弓子著 「綿の国星ー葡萄夜ー」より)

 

事実を認識しながらも、悪い夢をみているような感じが続いている。

加川さんの唄を未だに自分から聴くことができない。

 

この飼い猫のようにあの天国とやらで

気持ちよさそうにコーヒーでも飲んでいるところを

垣間見ることができたら納得するのだろうか。

 

昨年の6月、下北沢ラカーニャで

「みらい」発売記念のライブを見て以来

私は加川さんのライブを見ていない。

CDに「私のmirai」と書いてくれた。

 

私はくよくよするタチだから

何度となく加川さんの唄と

そのひととなりに助けてもらった。

私にとって加川さんは本当に大切な人だ。

 

加川さんはいつも優しく、いつも厳しく、

いつも冗談めかして本当のことしか言わない。

それは唄にも顕れている。

ずっとずっとそれを感じてきた。

 

加川良のmiraiがどんな風になるのか私には判らない。

 

でもそんな加川さんの思考が

私の思考と少しずつ融合し

私の中で醸成され

 

何かを感ずる時

何かを言う時

何かを書く時

何かを判断する時

少なからずそれが現れる。

 

そんな風にともに生きていけたらいいな

 

 

よし、頑張って初めて言おう。

 

加川さん、心からご冥福をお祈りします。

どうか安らかに。

 

う、やっぱだめだ。

 

| まつ | 20:40 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ベンノモエテン。

先日久々にタモリ倶楽部を見たら

「その蓋にも歴史あり マンホーラーになろう」

というのをやっていた。

 

確か路上観察一派にマンホールの蓋写真を

収集していた人がいたと思ったが

どうやら出演されているのはもう少々若いお方。

この分野も次世代が台頭し始めているようだ。 

 

私には結構食いつく話題だった。

何故なら数日前に大森駅前でこんなマンホールを

見つけたばかりだったから。

 

 

国鉄のマンホール。

何度もその上を歩いていたと思うのだけど

気付かなかった。

 

そんな訳でちょっと嬉しくなって番組をみていた。

蓋の記号やデザインなど、なかなかに興味深いのだが

とりわけ気に入ったのが「ベンノモエテン」。

「弁の萌点」である。

 

次世代のマンホーラー曰く、

「〜様へ」の「様」の最後の一画や「へ」に

チョンチョンを付けるのと同様に

「仕切弁」という小さな蓋に打たれた点のこと。

 

次世代のマンホーラが収集した写真には

「弁」の最後の一画に打たれた萌点や

「弁」の文字の上の方に独立した萌点が

写っていた。

 

こういう鋳型を作ったわけである。わざわざ。

そりゃそそられる気持ちも判る。

 

ウチの近所にもあるのかなと思い

平和島駅からの帰り道、

仕切弁に着目しながら歩いてみた。

 

そうそうあるもんじゃないのかと諦めかけ

ウチの前につながる路地を歩いていたら

あった。あるある。いっぱいある。

 

 

仕切弁、萌点なし。

 

仕切弁、萌点あり。

 

このタイプばかりであったが

実物を見ることができて満足満足。

わざわざ作ったんだなあ。心憎いぞ。

 

ところでこんな風に仕切弁やマンホールに着目しながら

下ばかり見て路地を歩いているうちに

ふとひとつの風景が頭に浮かんだ。

 

昔はこういう路地の両脇には必ずどぶがあった。

そんな風景を思い出したのである。

 

どぶなんて不衛生だし狭い道では

車はまるし自転車も人も犬もはまる。

今はみんな蓋がされている。

 

私は中学を卒業するまでこの辺りに住んでいたのだが

小学生の頃、一斉に蓋されたような気がする。

トイレが水洗になったのと同じ頃かな。

 

だからそれ以降にモノごころがついた人は知らない風景。

私だって忘れていた。

そんな風景があったのだなあ。

 

| まつ | 13:41 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
Take all of your atomic poison power away

 

月曜日はemicos(from 静岡)のライブへ。


大好物の音楽がいっぱいで
かっこいい演奏と歌声にOh yeah!

 

特にこの日演奏してくれたPower。

 

大阪の徳田建さんが
日本語の歌詞で歌うのを
何度か聴いているのだけど
原曲をちゃんと聴くのは
これが初めてだった。

 

そしてノーニュークスで歌われていることも
ああいう歌詞であることも
この日初めて知った。

 

ノーニュークスのこと詳しく知らなかったし
スリーマイル事故に端を発していることも
実は3.11以降に知った。
それまでは大雑把に
反核のコンサートだと思っていた。
(建さんの歌詞は原曲に忠実だったんだね)

 

いい歌だなあと思った。

 

おもえば以前、
emicosのボーカルえみさんが歌ってくれた
It's not the Spotlightも
それまで知らなくて
えみさんが歌うのを聴いて
いい歌だなあと思ったんだっけ。

 

自分でも歌いたいと歌詞を覚えて
今ではソラで歌えるようになっちゃった。

 

えみさんはグッとくる歌声を聴かせてくれるだけではなく
いい歌を教えてくれる御方でもあるのだなあ。

 

今度はPower覚えよっと。

| まつ | 00:06 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
頑張れ

 

唐突ですが、今年前半の自分の事を書きます。

 

昨年から4年ぶり位で元の職種に戻った。
それまで年齢相応の
そんなに疲れない職種に就いていた。
定年退職を迎えるまで
そのまま静かに勤めていてもよかったのだが
つい刺激を求めて、疲れる元の職種を
自分から希望してしまった。

 

新しい職場では実に何もかもうまくいかない。
こんなに何もかもうまくいかないのは久方ぶりだ。
こんなにけちょんけちょんに言われるのも。

 

環境が変わって勝手が判らないというのもあるが
戻った元の職種がこんなにキツイという事を
いつの間にか忘れてしまっていたのだと思う。

 

4年前迄の職場は
30歳代〜50歳位の20年間勤めており
慣れもあったのだろう。
私のようなボーとした人間でも
なんとか勤まった。

 

この歳で一からというのは
かなりキツイのである。
体力的にも精神的にも。
これが歳をとるということなのか。

 

一月に年に一度恒例の
プライベートな集まりがあった
年イチということで
いつも一人ひとり近況を述べるのだが
早くも私はへこたれ状況を皆に伝えた。

 

その時、思いもよらなかったのだが
その場にいた皆が
「がんばれ!」と声を掛けてくれた。

 

そしてもっと思いもよらなかったのだが
私はぐっときたのだった。
少し泣いてしまったし、嬉しかった。
なんだか周りの人が皆敵みたいに思っていたのだね。

 

私は学生の頃にスポーツをやっていたわけではないし
その後も人前で何かするなどという
目立った活動をしたこともないので
応援されたという記憶がない。

だから応援するということ、
頑張っている人にエールを送る意味で
「がんばれ!」という言葉を掛けることに
どんな意味があるのか、
この歳になるまで判っていなかった。
こんなに励みになるとは思っていなかった。

 

仕事の方は、一月以降もどんどん状況は悪化し
朝、出社する前に吐いてしまったこともあった。

でも、もうこの仕事は終わらないんじゃないかと思っていても
結局、納期までにはなんとかなるもんで
無事に終息を迎えた。(この感覚も久方ぶり。。。)

 

その間、本当に
皆の「がんばれ!」の言葉を
何度も思い出して乗り切った。

 

××××××××××××××××××××××××××××××××××××

 

私は今、心から応援したい人がいる。
その人に伝えたい。

 

少し離れているけれど
今一歩一歩前に進んでいる君の事、見ているよ。
うまくいくように祈っているよ。
そして応援しているよ。

どうか乗り切れますように。
エールを送る意味で敢て言います。
がんばれ!

 

鶏肉の嫌いな君へ。

| まつ | 13:32 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
顔。

2015年セリーグの優勝は
まさかのヤクルトに決まった。
私は延長11回サヨナラの瞬間を
テレビの野球中継で見とどけ
少し早かったが寝ることにした。

翌日は朝から
義父が入院する病院の
ソーシャルワーカと会う事になっていたからだ。

すっかり寝入った頃
家人の起こす声で目が覚めた。
「おとん、危ないらしい。」
午前2時をまわっていた。

家人は芝居の稽古に出かけていた。
その後、そのまま飲みに行き
帰宅した玄関のところで
病院から電話を受けたらしい。

動揺しているのだろうが
酔っているため
ちょっとヘラヘラしている。
私の方は寝ぼけ眼だ。
ボケボケだけど
とにかく私達は病院に向かった。


私が義父と初めて会ったのは
25年位前。
初めて家人の実家へ挨拶に行った時のことだ。
私はもともとトイレが近いのだが
緊張していた事もあり
話をしている最中にトイレに行きたくなり
もぞもぞしていた。

それに気が付いた義父は
「そう遠い所でもないし、行きゃあいいんだよ。
ウチはざっくばらんな家だから。」と
ニヤリと笑った。
それから何度となく
義父のそのニヤリとした顔を見て来た。

体調をくずした義父が
近くの総合病院へ行ったのは
今年の3月のことだ。
そこで我が家から自転車で15分位のところにある
大学病院を紹介された。

だが義父はなかなかその病院へ行ってくれない。

家人は何度も連れて行こうとしたが
義父は頑として行こうとしない。
そうしているうちに
段々と食事がとれなくなっていき
やがて水分も取れなくなっていった。
もうこのままでは危険という状況にまでなった。

9月の2週目。
豪雨にみまわれ鬼怒川が決壊した日の翌日は
久々に晴れた。

意を決して
家人と力づくで
義父を病院に連れて行こうとした。
それでも義父は拒んだ。
もう随分痩せて、意識も朦朧としているのに
何処にこんな力が残っているんだろう。

その翌日。
しかたなく叔父夫婦に来てもらい、
4人がかりでやっとのこと
病院に行くことができた。

病気の症状よりも脱水症状が深刻で
とにかく点滴、即入院である。

その日も翌日も義父は寝続け
何時どうなってもおかしくない状況と言われた。

入院して二日後の夜
病院に行ってみると
義父はベッドにいない。
「あれ?」と思っていると
病室の前にあるトイレから義父がでてきた。

「おう。」
点滴をカラカラと押しながら、
すたすた歩いている。
昨日までの様子からは想像できない。
担当医も驚いていた。

その姿に私はなんだか嬉しくなって
義母に電話してしまった。

その翌日位からは
直接栄養を胃にとおす管を
鼻からいれるようになっていた。

入院して一週間位たった頃
義父と雑談などしていると
義父は自分の電動アシスト自転車を
「そっち(私達)で使えばいいんだよ。」と言って
ニヤリと笑った。

久々に見たあの顔だ。
家人に言わせると
ここ数カ月間で久しぶりに笑ったという。

病状と大学病院という性質から
長期の入院は叶わず
転院のための処置が進められた。

その間にソーシャルワーカと
今後の事を話し合う予定であった。

病院から「あぶない」と電話があったのは
処置のための手術を
三日後に控えた夜中だった。

病院に到着してナースステーションに行くと
いつもの病室とは違う部屋へ通された。

義父はベッドに寝ていて
今まで付けていた医療器具が外されていた。

「ああ、間に合わなかったんだ。」と思った。

担当医の話では
発作のようなことではなく
段々と鼓動が弱くなり
静かに心臓が停止したそうだ。

義父に触れてみる。
顔は冷たかったが体はまだ温かかった。

朝になって、家人が電話で義母に伝えた。
前の日の昼間、義母が病院に訪れた時
義父は笑っていたそうだ。

入院してから三週間後の出来事である。

義父にとって病院での三週間は
辛いだけだったかもしれない。
きっと自分の家で
最期の時を迎えたかったのだろう。

それでも
残された者の想いでしかないのだけれど
もう一度、義父らしい顔を見せてくれた事、
私は嬉しかった。

お義父さん、ごめんなさい。

それから電動アシスト、いい感じです。

 
| まつ | 23:06 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
in to the forest


いつの間にか森の入口に来ていた。
中は鬱蒼としている。

何かわからないものが出てきたら嫌だしな。
どうしよ・・・

「とっととお入り〜」

誰かに背中を蹴り飛ばされ
躊躇っていた私は決心する間もなく
森の中に入ってしまった。

溢れかえる緑の匂いの中にまざって
花の甘い匂いが漂う。
ちいさな蝶が膝ぐらいの高さを
パタパタと横切る。
遠くの方から水の音が聞こえる。

ぼーっと何時間もそこに座りこんでいた。
もう頭の中は空っぽになり
毎日の色んな煩わしい事も
どうでもよくなってしまった。

八月の終わりに行った、
「溝口奈保子  展  〜シャンティ〜」。


銀座のとあるビルの一室。
フィッティングルームを南国の植物達で埋め尽くした。
フィッティングルームなので奥には鏡が。

これを製作した溝口さんは
もちろん背中を蹴り倒すなんてことはせず
かわゆく「中に入ってみて〜」と言ってくれた。
中に入るとなんとも気持ちよく
そして落ち着く。
いつまでもそこに居たい感じだった。

シャンティとは心の平穏という意味だそうだ。

銀座とはいえ、こんなビルで



玄関を入ると、こんな受付があって


踊り場はこんなだし


エレベーターもこんなだ。


だから夜更けの皆んなが寝静まった頃にだけ
こっそりと本当に南国の森へと繋がっていたかもしれない。



 
| まつ | 23:21 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
悔。


介護で頻繁に実家に通うようになった頃
よく父がこんなことを言った。

「すまないことをした。ゆるしてくれるだろうか。」

私は何のことだかわからず
「何が?」と聞き返す。
父はまた
「すまないことをした。ゆるしてくれるだろうか。」と繰り返す。

「誰に?」「何を?」と聞いても
父は同じ言葉を繰り返すばかりだ.。

うーん、何のことだろう。
私は暫く考えて、ふと思ってしまった。

父は大正6年生まれで
東京の墨田区あたりで関東大震災に遭っている。
その後、2度に亘り徴兵され
終戦後も数年シベリアに抑留されていた。

裕福ではなかったけど
呑気が当たり前に生きて来た私などには想像できない
人の生死の境に何度も直面したにちがいない。

私はちょっと怖くなり
それ以上父に聞き返すことができなくなってしまった。
「大丈夫だよ、ゆるしてくれるよ。」を繰り返した。

父は何に謝っていたのだろう。
その3年後に父は亡くなり、もう聞くことはできない。

人は最期が近づくと自らそれを悟り
心の奥底に沈め隠しておいた自らの過ちを
告白してしまいたくなるのだろうか。

「やった方は覚えていないが、やられた方は決して忘れない。」
そんなことをよく聞くが
これは「やった方」が覚えていないのではなく
「やった」事に気づいていないだけなのだと思う。

少しでも相手に対し後ろめたさや罪の意識があったのなら
悔やむ気持ちは重く心に残り
時が過ぎても決して消えないんじゃないかな。

そして、いよいよという時になって
それを告白せずにはいられなくなってしまうのかもしれない。


数か月前、私はネット上で小学校の同級生と再会した。
実際には会っていないので
再会はちょっとおかしいかもしれないけれど
たまたま目にしたライブの告知に
見覚えのある名前があったのだ。

勇気をふりしぼって連絡をとってみた。
小学生の頃の記憶を掘り起こしながら
幾度かその人とやりとりをした。

そうしているうちに一緒に別の記憶が掘り起こされた。
いや、時々思い出していることがまたでてきたのだが。

私は小学校に入学するとすぐ友達ができた。
いつも一緒にいて
その子と一番仲の良い友達になった。

でも何がきっかけだか覚えていないが
別の子が積極的に話しかけてきて
優柔不断な私はよく考えもせず
その子とよく遊ぶようになり
一番仲のよかった友達とは遊ばなくなっていった。
4年生位の頃だと思う。

そんな風になった翌年のお正月、
最初に友達となった子から年賀状をもらった。

そこには
「いままでツンツンしてごめんね。」と書かれていた。

「そうか、ツンツンされていたのか。」と思ったが
特に彼女と話すこともなく
やがて小学校を卒業し
同じ中学にも通ったが
そのまま話す機会はなかった。

私は中学卒業と同時に初めて引越をした。
自分の荷物をまとめていて
その年賀状がでてきた。
それまですっかり忘れていたが
読み返してみて自分のした事に気づいた。

彼女はどんな気持ちでその年賀状を書いたのか。
彼女は謝っている。
なんで彼女に何も言わなかったのだろうと悔やんだ。

それから時々
何かの折にこの年賀状のことを思い出す。
心の奥底に隠しておいても、時々出てきてしまう。

中学を卒業してから彼女と会ったことはない。
もし会えたとしたら
今の彼女に「あの時はごめんね。」と
謝るのだろうか。

違う。私が悔やんでいるのは
年賀状をくれたあの時のあの子に
「私こそごめんね。」と言えなかったことだから。

私は多分これを口走るのかもしれない。
| まつ | 05:37 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
まいまい。


小学校の頃憲法を暗記した。
もちろん自発的ではない。

4年生〜6年生の担任の先生は
政治経済用語とその説明を黒板に書きまくり
それをノートにとりまくる、
日直は朝刊の記事を後ろの黒板に書き
みんなの前で読み上げる(記事は自分で選ばなくてはならない)、
なんてことを生徒に命じた。

確か教室にあったテレビで(観音開きの扉がついてるヤツ)
自民党総裁選挙の模様を見たこともある。
三角大福の時。
多分先生が見たかったのだと思う。

そしてある日「日本国憲法」の本が配られ
先生はこれを暗記せよと命じた。

先生が黒板に書きまくった用語で覚えているのは「コメコン」。
音が面白かったから。

読み上げた新聞記事で覚えてるのは
「アリューシャン列島」と「カムチャッツカ半島」。
発音しにくかったったから。(記事の内容は覚えていない。)

自民党総裁選挙は・・・
私は当時、総理大臣は天皇と同じように
ずっと佐藤栄作がやり続けると思っていた。
「総理大臣って替わるのか。」と驚いた記憶がある。
(いくら自民党と言えど、総裁選挙をテレビ中継するだろうか。
ただニュースを見ただけなのかもしれない。)

そして憲法。
多分いくつかは闇雲に覚えたのだと思うが
今覚えているのは一条だけである。
それも最後まではソラで言えない。
九条も諳んじることはできない。

九条をネットで検索してみた。

”日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し・・・”

ああそうだ、条文を読んで思い出した。
確か九条は他のページとレイアウトが違っていた。
枠で囲われていて、日の丸の絵が描かれていた。
ちょっと清々しい感じがした記憶がある。
一応「戦争の放棄」は知っていたと思う。
「さすが、九条」と思った気がする。

中学や高校で憲法の生い立ちや内容について
授業を受けたのだろうか。
習ったのかもしれないが覚えていない。
(寝てたカモ。)

毎日集団的自衛権や憲法改正で騒がれているのに
恥ずかしいけれど
私は九条が作られた経緯をよく知らない。

ネットで検索してみてもイマイチよくわからないので
本を2冊読んでみた。
本屋さんで憲法九条関連の
なるべく最近出版された新書(厚いと飽きちゃうので)を
テキト―に選んでみた。

ひとつは法学者古関彰一さんの「平和憲法の深層」。
制定当時の委員会の記録や閣議の議事録、
制定に関わった政治家、憲法学者の論文等をリンクさせて
憲法がどのように制定されたかを著している。
制定当時の事が解りそうだ。

もうひとつは社会学者大澤真幸さん、
憲法学者木村草太さんの対談
「憲法の条件 戦後70年から考える」。
憲法をどう考えたらいいのか教えてくれそうだ。

まず「平和憲法の深層」。

日本国憲法成立の流れはこんな感じ。
マッカーサー三原則→GHQ案→政府案→
政府案閣議決定→国会審議→
特別委員会で色々あって→衆参両院可決→公布

 マッカーサーは敗戦後の日本統治のため
 何としても天皇を残し、東京裁判からも護りたかった。
 連合国、とりわけ中国や豪州からの反発を抑えるため
 天皇を象徴にして、戦争を放棄させた。

 日本の安全保障は沖縄(と周辺諸島)に基地を置くこと。
 沖縄は日本国憲法の外に置く。

 ただ”正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し”という
 理念的な箇所は政府案でも登場していない。

 まず国会で「平和を愛好することを世界に宣言すべき」との意見があがり
 委員会で検討され
 「ただ戦争を放棄し、軍備を捨てるというだけじゃあ・・・」と
 前述の様な一行が追加された。

昔の文献を多数引用していて
言葉が難しかったのだけど
こんなことが頭に残った。

ここで言われている平和は
今やたらと使われている戦争のための平和でなく
もちろん本来の平和だ。

近頃よく平和ボケなどと聞くが
この一行をなんとか追加した人達は
悲惨な戦争を日常的に経験し、
平和とは真逆のところに居た人達だ。


次に「憲法の条件 戦後70年から考える」。

 九条について
 護憲派は戦争に巻き込まれたくないため、
 改憲派は日本の防衛のためと
 どちらも日本国内に向けた理由が主流にみえるが
 そういった私的使用ではなく
 もっと世界、未来も見据えた世界的な
 公共的使用を考えたらどうか。

 もう人類は本格的な戦争はできない世界に突入していて
 人類の生存を目標とするならば
 長期的な視野では九条を世界化するしかないだろう。
 九条は時代錯誤だと批判するけれど
 むしろ時代を先取りしているのではないか。

 九条はとても理念的でとっつき難いので
 今の理念を基盤に掲げ、具体化した内容を追加してはどうか。
 今の九条を活かしながら、非軍事面で国際貢献をめざす、
 そんな方向で改憲を考えてもよいのではないか。

この対談は
ホントに抽象的な哲学用語(?)みたいのがいっぱいでてきて
グーグルと首っ引きだったけど
こんなことが頭に残った。

改憲というとキナ臭い方向ばかりだと思ってたが
解釈改憲などできないような
もっと今の九条を明確にするための
改憲という考え方もあるのだなあ。

2冊の本を読んで感じたのは
私達はこれで行くんだ、
といった方針のようなものを考える時
私にはやっぱりその根幹に九条があるということだ。

いくら理念的と言われても
生い立ちも色々複雑なんだけど(沖縄のことも含めて)
今の九条を手放すのは惜しい気がするのである。
| まつ | 18:35 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ツボ。


不思議な映画を見た。

内容は特殊な業界を舞台としているものの、
登場人物の日常を淡々と描いていて
感情に訴えかけるとか
特撮がスゴイとか
意表を突かれるとか
そういう事ではない。

こちらも淡々と
時折クスリと笑ったりしながら観進めていたのだが
あるワンカット、
それは瞬きしているうちに次のカットに移ってしまう程の
ほんの一瞬の映像を観た瞬間、
はらはらと涙がでた。

あれ?私泣いている?
そんな感じなのだ。
何故泣いているんだろう。
???と思っているうちに
その数分後にはエンドロールになり、映画は終わった。

結局、ラスト数分の出来事だったのだ。
私は涙が止まらず、映画が終わってもしばらく泣いていた。
でも泣いている理由が全然判らない。

少なくとも
哀しいとか
切ないとか
可哀そうとか
感動したとか
そういうことではなく
セリフもない
実に地味な、引きの一瞬の映像自体に
泣いているのだと思った。

私だけかなと思い、
隣で観ていた家人に目をやると
やはり泣いている。
家人はこの映画を一度観ていて
二回目にも関わらず泣いている。(涙もろいヤツ)
残念ながらテレビで観ていたので
他の人の事は判らないのだが
少なくとも家人は同じ印象のようだ。

実に不思議。
偶然の産物なのか
それとも監督の計算し尽くされた結果なのか。

多分これは後者の方で
監督の思うツボにハマったのだと思う。

そのワンカットが写る前まで、
淡々と観ていたと思いきや
実は自分でも気づかぬウチにやられていて
そのワンカットで一気に、という感じなのだろうか。
でも地味なカットだしなー

結局のところ、よく判らないのであるが、
こんな映画を観たのは初めてだ。
こんなことできるこの監督をちょっとすごいと思った。
| まつ | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
心の師匠


以前、何かの話の流れで
自分の価値観が変わるような映画は何?
と聞かれたことがある。

価値観が変わる・・・

ピンとこないでいたら、
「俺も今日からこれで行こう。」
と思う様ような映画だ、と言われた。
映画、沢山見てないし、
結局何も思いつかなかった。


赤瀬川原平さんが亡くなった。

10月26日の日曜日、
私は夜から何やらお腹が痛くなり
翌日になっても治らない。
こちトラ、頭痛なら毎度のことで、
バファリン飲んで寝てしまえば何とかなる。
でも腹痛には慣れておらず、
その辛さはどうにも我慢できない。
結局仕事を休んで医者へ行き、
一日ポカリスエットを抱えて寝込んでいた。

夜の10時頃、
痛みも治まってきたので起き出してみたら
ちょうど何処ぞから帰って来た家人に
その日の朝刊を見せられ、訃報を知った。

代表作は「老人力」、「新解さんの謎」。
尾辻克彦名義の「父が消えた」は芥川賞を受賞。
私は「心の師匠」と呼んでいる。

1970年代の終わりか1980年代の始めに
漫画雑誌ガロで知った。
その後、トマソン、路上観察、
中古カメラ、宮武外骨と
どんどんハマっていった。

ハマって行くにつれ、やがて気づいた。

面白いと思った事、
例えそれが公言するのは憚れる様な
あまり一般的ではなさそうな事でも
自分が面白いと思えば
それでよいのだという事。

私は自分でも上手く説明できないのだが、
電柱とか電線とかトランス、
鉄塔やクレーン、
工場(夜景じゃなく)、
真空管、シリンダ、
何に使うのか判らないが
管が一杯でた機械等々を
ただ眺めているのが好きだ。

多分、高校生位の頃からだと思う。

でも趣味はと聞かれて、
こんな物を眺めるのが好きだとは
なかなか言い出すことができない。
家人が好む鉄道やら特撮は
市民権を得ていて羨ましい。

マルセル・デュシャンや
キリコ、クリストもいいなと思う。
これなら美術鑑賞。
一般的な趣味である。

でも安中の精錬所や
近所の電柱の方がもっと好きなのだ。
やがてネット社会となり、
同好の士が沢山いることを知ったけど、
当時は知る由もない。

赤瀬川さんは
一般的にはどうかと思しきモノを
飄々と面白いと云ってのける。
赤瀬川さんの著書を読むにつれ、
「私も今日からこれで行こう。」となった。
だから「心の師匠」。

赤瀬川さんが監修した
著名人の辞世の言葉ばかりを集めた
「生き方の鑑 辞世のことば」というのがある。
本屋さんで手に取った時
ちょっと悪趣味かなと思った。
なんというか覗き見趣味的な。

でもこの本は
古代から現代までの著名人の辞世の言葉と
赤瀬川さんの補足説明で
終始一貫しており、
実に真面目で
形式写真の写真集の様な本だった。
どのように感ずるかは読み手次第。
悪趣味なんかではなかった。

まえがきに
「死ぬのは人間一人に一回きりだから、
あらかじめ体験や練習のできないのが
問題である。だから死ぬことは
いつの時代の誰にとっても
新しい問題である。」とある。

赤瀬川さんは辞世の言葉を残したのだろうか。

知りたい気持ちもあるが
今はまだ早すぎる。
もう少し後で。

師匠、ご冥福をお祈りします。


 
| まつ | 18:48 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

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